社長の歴史
- 井上和人
- 昭和14年9月 5人きょうだいの末っ子として長野市で生まれる。
山に囲まれた長野盆地の中心地、
川中島古戦場に近い土地で腕白な少年時代を過ごす。
- 〜小学校時代〜
- 小学校は昭和21年に終戦の次の年で、教科書らしい物がなく、わら半紙のような物であった。
2年生の6月に母、病死。
4〜5年 悪ガキ時代
4年生の時、学級崩壊
5年生の一泊旅行では旅館の池の大きな鯉を温泉に10匹以上入れて大問題となる。
姉が母親代わりになり学校にいつも謝りに行っていた。
6年生になり、落ち着く。
- 〜中学時代〜
- クラブ活動は野球部で2塁やセンター。あまり活躍はしていない。
キャッチャーの島田君とは仲が良く、
高校でも野球をやろうと言ったが2人ともやらなかった。
- 〜高校時代〜
- 長野商業高等学校
高校で野球部に入ろうとしたが家が農家でお金がなく、親に言えずにあきらめた。
中学の先輩の松尾さんに誘われてバトミントン部に入り、マネージャーと選手として楽しんだ。
県大会の前日、松本の浅間温泉に泊まり顧問の先生を先に寝かせ、2階の窓から隣の旅館のお風呂を覗いたりして次の日は試合にならなかった。
今では後輩が活躍し、インターハイ、国体と県No1のバトミントン部になっています。
私はバトミントン部創立の初代部長ですぞ!!
- 昭和32年
- 自由奔放な少年時代が終わり月給取りに憧れて単身上京。
繊維問屋に2年間勤める。 - 昭和34年
- 文京区のスパイス会社に入社。
スパイスとの運命的な出会いをする。 - 昭和43年
- 人生のパートナーとの運命的な出会い、結婚。
3人の子宝に恵まれる。 - 昭和49年9月
- 「井上スパイス工業株式会社」創立
資本金1000万円
大宮市の自宅の一室を事務所として
庭にプレハブ3坪の倉庫兼作業所から始まった。
社員は私と妻と営業1名、パート1名。
得意先は数少なくハムメーカー、問屋さんなど。
- 昭和52年
- 坂巻さんと協同でにんにくの製造工場「坂巻食品」を立ち上げる。(当社専用)
上尾に工場を構える。
土地150坪、建物15坪、
廻りは草が背の高さに伸び草刈をしていたらヘビが出てきた。
- 昭和54年
- 敷地内に20坪の工場新設
- 昭和56年
- 1階作業所、2階事務所を新設
- 昭和60年
- 近くに60坪の土地を購入、30坪の1階作業所、2階倉庫を新設
- 平成7年
- となりに80坪の建物を購入
- 平成17年
- 「スパイス王国」誕生
現在に至る